式場壮吉さんが亡くなった
「伝説のレーサー」という形容が
これほど当て嵌まる人がいるだろうか
上の写真は1963年
日本の近代レースの幕開けとなった
第1回日本グランプリ
クラス優勝の勇姿
搭乗マシンはトヨペット・コロナ
型式RT20、コロナとして2代目
ボクソール、ヒルマンと交じり
上の写真では3番手走行中
翌1964年
式場はトヨタのワークスレーサーでありながら
最も注目を集めたGTⅡクラスに
あろうことか、純レーシングカーのポルシェ904を自費で購入!しエントリー(下の写真は車検中)
ちなみに他のクラスには、ちゃんと(?)トヨタから出走している
この1964年日本グランプリは
プリンス自動車が背水の陣で臨んでいた
1500ccクラスのスカイラインに無理矢理6気筒2000ccを突っ込んだスカイラインGTを投入する
当時、プリンスが3連キャブレターを伊ウェバー社に発注するも
「自動車後進国の日本にそんな高性能車がある訳ない!」と判断され、送ってこなかったという逸話(?)もあった
ちなみに式場のライバルで親友、プリンスのレーサーだった生沢徹は
「当時のウェバー1機は、現代でいうとスペースシャトル1機くらいのインパクト」と語った
そのスカGを置き去りにする程の異次元マシン、ポルシェ904
生沢スカGが式場ポルシェを一瞬抜き去ったシーンは
日本のレースシーンにおいて欠くことの出来ない名場面だ
数十年の時を経て、今では式場と生沢の申し合わせによるものと各当事者が明かしている
このレースこそがスカイライン伝説の始まりであり
日本車が世界に挑戦した始まりだ
そして、今も国際レースに参加する日本メーカーがある
ルマン24時間レースも近い
頑張れ日本車!!
つい余談になってしまった
式場さんとその仲間たちは
日本の近代レース創成期に深い影響を与えた
しかし、間も無く式場さんはあっさりレースを引退し、以後第一線で走ることは無かった
腕に覚えのある自動車愛好家がレーサーになれた創成期から、プロレーサーでなければ勝てない戦国時代に急速に変化した
その後は家業の病院経営をしながら
自動車愛好家であり続けた
成城大学で一緒だった徳大寺有恒によると
式場さんの学生時代のバイトが
「ホテルのバーでジャズを歌うこと」だったことに驚いたという
それは、まだ戦後だった昭和30年代の日本では桁外れだったに違いない
下の写真
左はミッキー・カーチス、右は石津祐介
式場さんのレース仲間であり、皆当時のファッションリーダーだ
晩年、雑誌のインタビューに応える式場さん
往年の輝きは失われず、カッコよかった