
ワシは仙台生まれ仙台育ち
八幡町、角五郎丁にも親戚があり
幼い頃、仙台市電には度々乗ったものだった
国道の中央分離帯にあった停留所は
今にして思えば危ないな
ワシも幼心に寒空、風の強い日、市電を待った覚えがある

大学病院前にはポイント切替のための詰所があった
写真は無いのだけど、巨大なキノコのようなカタチだった
そして、幅員の広いR48中央の架線を支えるため
補助ワイヤーが一面に張り巡らされていた

その仙台市電が廃止されたのは
昭和51年(1976年)3月
ちょうどワシが幼稚園から小学校に上がる頃だった
花電車も走った廃止直前のころ
幼いワシは祖父に連れられ長町~八幡町間を往復した
祖父は戦後長く交通局に勤め、当時は交通公園勤務だったと思う

さて前置きが長くなったな
先日、仙台市電保存館(市営地下鉄富沢車両基地内)
に行ってきたのだ
戦前戦中から戦後の混乱期を経て高度経済成長期まで
市民の足であり続け、仙台の街のうつり変わりを見守った市電に
仙台人なら是非とも見て触れていただきたいと思うのだ
まず出迎えてくれるのは「モハ1」
仙台市電の第一号車とされる

大正15年製造というこの車輌
価格は9450円!
当時と今の貨幣価値を仮に米価で比較すると1000倍程度となり
今でいうと・・・945万円!
なんか安い気がするぞ

実はワシはこの個体と昭和51年春に祖父と訪ねた北二番丁車庫(現在の交通局向のバス駐車場)で対面している
40年の時空を超えての邂逅となった
幼き日のイメージでは、ボディがもうちょっと赤みの強いアズキ色だった気がしていた
ボギー台車登場以前のこの車輌、7.9mの全長に対しホイールベースが極端に短く感じる

さて室内を見てみよう・・・ってこの貴重な車輌に入って座って触りまくれるのだから気前が良い!
注:奥の車掌さんはマネキン
何度かの修復を経たこの車輌
1970年代後半に市民会館横にSLと共に展示されたが、程なく姿を消した
木製ボディの痛みが進んだのだろうか

車輌検査票が掲示されている・・・クルマでいったらさしずめ車検証だろうか
最後の車検は昭和39年のようだ
てか車検の間隔が10年て大丈夫か!

続いてコクピット
制御器にはハンドルが付くが無論速度制御用だ
真鍮の鈍い光沢がカコイイな☆
このモハ1は18.7キロワットの出力で28.2キロの速度
「川崎造船所」の文字が見える

「1」の番号票も誇らしい
屋根のアーチなど、大正浪漫な(?)造作

今回は初めて気づいたことがある
最後まで存在した路線は仙台駅~大学病院前の循環線と
大学病院前から接続の八幡町線、仙台駅から接続の長町線だけかと思っていたが
原の町線も昭和51年の廃止まで存続していたことは知らなかった
この路線には残念ながら乗っていないと思う

モハ1だけでオナカいっぱいだ
この保存館にはあと2輌の市電が控えている
それらには、あらためて触れたいと思う
