鈴鹿サーキットが50周年を迎え
9月1日・2日に「鈴鹿サーキット50周年アニバーサリーデー」
を開催しているという
写真:ホンダRA300(1968イタリアGP優勝、ドライバー:ジョン・サーティース)
しかも入場無料!
行きたかったなぁ
だって、集結したマシン、そしてレーサーがスゴイ!!
http://www.suzukacircuit.jp/50anniversary/event/#60s
一度は行ってみたいSUZUKA
オイラにとってはFISCO(富士スピードウェイ)と並ぶ「聖地」だ
一度も行ってないのに鈴鹿史上ベスト3レースを勝手に選ぶ(笑)
【1964第2回日本グランプリ】
市販車改造のプリンス・スカイラインGTが、最新レースカーのポルシェ904を一瞬だけ抜いた
その瞬間、鈴鹿のグランドスタンドからは地鳴りのような歓声が上がったという
マシンの実力差から有り得ないこのシーンの背景にはスカGの生沢徹とポルシェの式場壮吉が個人的に友人であり「スカGがポルシェに追いついたら一周だけ前を走らせる」という密約(?)があったためといわれる
ともあれ、このレースを発端にプリンス・日産はレースにのめり込み、国内レースを席巻する
今に続くスカG及びGT-R伝説の始まりでもある
写真:スカGがポルシェをパスした瞬間
【1983全日本BIG2&4レース】
不世出のレーサー、高橋徹が
初出場の国内トップカテゴリー、全日本F2で
予選4位、決勝2位という驚異の結果を残した
そのシーズンも後半は苦戦が続き(ルーキーとしては上出来だが、デビュー戦の鮮烈さに比べ見劣りがした)
同年10月の富士GCレース最終戦で非業の死を遂げた
専ら「高橋徹は生きていればF1に行った」といわれるが
F2・F3までトップでもF1に上がれない、あるいはF1で伸び悩むドライバーは珍しくない
実際に元レーサーの黒澤元治が「徹はコーナリングで首を傾けすぎる」と具体的に欠点を指摘していた
しかし、1983年の高橋徹が圧倒的な輝きを見せた事実は色褪せることはない・・・
写真:マーチ832BMWを駆る高橋徹
【1989F1日本グランプリ】
御存知、共にマクラーレン・ホンダを駆るアイルトン・セナとアラン・プロストのシケインでの接触
世紀の凡戦と見る向きもあろうが
オイラ的には「これが世界での戦い方だな」と思う
勝つためなら躊躇無くぶつけに行く
「スポーツ」じゃなくて「戦い」をしてる
そもそも「正々堂々」という概念は日本民族にしか無いのかもしれない
FIAによる裁定はプロストによる故意の接触ということになっている
あれから23年が過ぎたが
日本人のF1ウィナーは未だ生まれていない
あのアグレッシブさがなければ世界では勝てないんだと思う
写真:鈴鹿のシケインで接触したセナとプロスト。マシンは共にマクラーレンMP4/5ホンダ
そんで
今回の鈴鹿のアニバーサリーデー
驚いたことがある
元日産ワークスの三羽烏と言われた
高橋 国光
北野 元
黒澤 元治
の三氏が一堂に会している
そもそも同じ日産出身とはいえ
勝負の世界に身をおいた三者
なぁなぁの仲好しこよしではなく
むしろ、相容れない関係である
オイラの記憶ではこの手のファン感謝デー的イベントで3者が揃った記憶は無い
スズカの50周年とはそれだけ重いイベントなのだろう
写真:高橋 国光
写真:北野 元(もと)
写真:黒澤 元治
何故に相容れない関係かといえば(以下オイラ調べ及びオイラの見解)
高橋と北野は4輪転向前に共にホンダで2輪世界グランプリを戦った
日本のレース創成期からのトップレーサー
対して黒澤は後発、叩き上げである
年令は三者ほぼ一緒だ
当時の国内レースで圧倒的最強軍団・日産ワークスチーム内での争い
2強の高橋、北野に黒澤が割って入る
1969日本GPで優勝し、桜井真一郎らマシン開発陣の信頼も厚かった黒澤は
「俺はもう2人を抜いたよ」と思ったかもしれない
しかし、思ったほどの待遇が得られなかったのかもしれない
あるいは活動を縮小する日産ワークスに魅力を失ったのか
結果、黒澤は日産を去る
そして排ガス規制とオイルショックの影響もあり、日産ワークスは活動をほぼ休止
高橋と北野もプライベートチームから富士GCなどのトップカテゴリーに出場する
そして運命の1974年富士グランチャンピォンシリーズ(富士GC)第2戦
三者が出走したそのレースで
鈴木誠一、風戸裕の2人のドライバーが事故死
黒澤との接触からの北野のスピンが引きがねとなった
それは黒澤の北野への故意の幅寄せが原因とする意見も多いが
黒澤はそれを認めておらず、逆に北野が狭い進路に無理に侵入したと主張している
原因は不明とするしかない
その後、黒澤は競技ライセンスを返上する
黒澤とは走りたくないというレーサーが多かったためとも言われる
かつて日本にもセナとプロストどころではない、まさに命のやりとりのような激しい戦いがあった
現在、三者とも70歳を越えた
レース直後、黒澤に「俺を殺す気か」と食ってかかった北野だが
40年近い時を経た今では
「黒澤があのレースに出走した全員に声をかけ、亡くなった2人の墓参りに行くと言うなら、全てを水に流す」と表明している
それに対する黒澤の返答は無いようだが・・・
鈴鹿のハナシなのに脱線しちゃったね(汗)
三人とも、お話させてもらったことあるけど、皆さん大御所なのにファンを大切にするオジサン(オジイサン)たちであることも書いておきたい
最後にオイラの宝物を公開
ふたりの表情がイイと思わない!?
写真:北野元、星野一義のサイン入り写真(北野元にもらった!)
追記:レースつながりで
小林可夢偉がベルギーGPで予選2位!
難コースのスパ・フランコルシャンで信じられない好位置だ
がんばれ!!
まぁ決勝もこのまま行けるとは思わんが(笑)