突然1985年ルマンのポスターから始めた
この年、ボロ負けしたジャガーがクローズアップされている
これは主催者ACOもポルシェの勝ちすぎに辟易していたから
・・・・・と思うのは考えすぎか(笑)
トヨタの初参戦がその85年
そのトヨタのエースといえば・・・・・
関谷正徳
正直、地味な印象のドライバーだった
サバンナRX-3などいわゆる「ハコ」のレースでは実績をあげるも
トップカテゴリーのGCなどではパッとしなかった
オイラも80年代前半までは名前は知ってたが
正直、数多くいた脇役のひとりか、と思っていた
でも・・・・・違った
職人タイプと言われるドライバーの中でも
スピードと強さを「秘めて」いた
1985ルマン24時間レース
関谷が非力なトムス85C・トヨタを12位に導いたのはその序章に過ぎなかった
1988年頃、レイトンハウスのスポンサードを受けた頃から一転、国内スプリントレースで表彰台の常連となる
その頃、関谷は既に40才前後だと思う
世代的には熟成の域に達した強豪がひしめき合う
星野一義、中島悟、松本恵二、従野孝司・・・・・
とんだオールド・ルーキー出現と思ったものだ
写真は1989全日本GC
その後、トヨタは苦難を乗り越えルマン参戦を続ける
そしてついにトヨタTS010は1992年、2位表彰台を得る
エースはもちろん関谷だ
1994年、トヨタ94C-Vも2位
この写真はACOがトヨタの2012年ルマン復帰に際してリリースしたもの
ドライバーは関谷ではない
1999年、トヨタTS020、またまた2位
ドライバーは片山右京、鈴木利雄、土屋圭市
もうわかるよね
言いたいのは
2位は要らないってことだ
マツダの一勝は20年経っても語り継がれるけど
トヨタの2位3回はだれも覚えてないんだよ!
トヨタはF1も未勝利で撤退した
F1やった意味が無かったと思う
技術的にもブランドイメージ的にもだ
ロールスもベントレーもアルファも100年前のレースで勝利した遺産で食ってる
それは当時、本気でレースに勝ちにいき
「優勝」という結果を残しているからなのだ
そして、関谷はルマンに勝ってる
1995年、雨のルマンでマクラーレンを頂点に導いた
この年、マクラーレンはダークホースだった
不意の雨が無ければあり得ない勝利だった
しかし、その瞬間に勝ち得るポジションに居ることこそ職人なのだ
実に関谷らしい勝ち方だと思ったものだった
関谷さんに直筆サインを頂いたトヨタ87C・・・・のミニカー
気さくな方だったな
「碧南マツダのメカニックだった」
とか、いろんな話をしてくれた
最後は関谷さんが提唱するレース「インタープロトシリーズ」のマシンなど
国産化率の高いマシンだという。そこを特に応援したい
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120328-00000008-rcg-moto