日産がポルシェに挑戦をし続けるこの話
その1980年代編
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http://y0siharu.exblog.jp/21178973/日産もそうだが、1970年代の日本のメーカーはオイルショックや安全対策などが山積し、市販車の開発に注力しなければならなかった
また、レースでは死亡事故が続いたため、イメージダウンを避けたのかもしれない
各社ワークスチームのレース活動は尽く中止された(日産はサファリラリー4連覇など海外ラリーでは大活躍)
その間もレース界ではポルシェの進撃は止まらない勝ち過ぎて、ときどきレギュレーションで意地悪されるのだけど、それを跳ね返す強さ
1970~80年代のルマンでは70、71、77、79、81、82、83、84、85、86、87年と勝率5割を超える
中でも、1982年に投入された956/962Cの強さは圧倒的だった
何が凄いかと言うと、ごく普通というか、ひと昔前のスペックで襲いかかる世界の列強を次々と退けたことだ
・水平対向6気筒と空力的に不利(アンダーフロアの造形に制約がある)
・空冷と前時代の冷却
・アルミモノコックと当時としてはやや古い
ランチア、ジャガー、メルセデスそして日本のマツダ、トヨタ、日産・・・束になっても叶わなかった
1000キロ(6時間)程度ではポルシェ以外が勝てても、24時間となると、チームとしての経験なのか、クルマの信頼性なのか・・・最後には必ずトップに立っていた
一方、日産はというと1970年代後半頃からラリー用のLZ20Bエンジンをバイオレットやシルビアに搭載し、サーキットに戻りつつあった
まだワークスと呼べるものではないけど、その心臓部、エンジンは日産ワークスの拠点、神奈川横須賀は追浜(おっぱま)製であった
いわゆる、スーパーシルエットと呼ばれるレースだ
これが後のNISMO設立とレース復帰に繋がっていく
1982年に世界耐久選手権「WECジャパン」が初開催され、前出のグループCカー、ポルシェ956が国内に初出現するまさに黒船の強さを見せつけた日本勢の多くはRX-7(SA22C)などのツーリングカー
まるで勝負にはならなかった
WECジャパン(1983)翌83年、日産は打倒ポルシェ!とはまだ思っていないだろうが、とりあえずCカーを仕立ててきた「シルビア・ターボCニチラ」と呼ばれたこのクルマ、英マーチ社のシャシ(マーチ83G)にLZ20Bターボを搭載している
68年はエンジンをヨソから買ってきたのだけど、こんどは車体を買ってきちゃった日産って・・・
レースはワークスポルシェの圧勝、以下もプライベーターのポルシェが続く(かつてポルシェはワークスカーに近いレーシングカーを市販していた)
日産シルビアは確か7位だ。でも圧倒的な周回遅れ
この時点ではクルマの差がありすぎた
ドライバーはさぞストレスが溜まったことだろう
WECジャパン(1985)84年も惨敗のあと、この85年は日産もついに勝負に出た!
セドグロ、Zなどに搭載のVG30が米エレクトラ・モーティブ社の手によりチューンされた
この年も「シルビア・ターボCニチラ」と呼ばれたクルマのシャシはマーチ85G
他にも「スカイライン」と英ローラ製シャシを持つ「フェアレディZ」があった
結果、日産は世界選手権初優勝!星野一義の豪雨の中の激走は中継を見ていたワシの瞼に今も残っている
しかし、このレース、ポルシェはじめ多くのヨーロッパ勢が「豪雨過ぎて危険」と判断し、自主的にリタイヤしたものだった
ドライバー星野は勝ったと思うが、日産のマシンはまだポルシェの域には遠かった
ルマン24時間レース(1986)ついに日産が世界に打って出た!
マーチ製シャシは変わらないが、この年から「日産R86V」と呼ばれることになった
でもルマンは甘くない。一台が16位完走(R85V)を果たすのがやっとだった
優勝車?!ポルシェに決まってるだろ~
ルマン24時間レース(1990)もはや旧式のポルシェ956/962Cのルマン優勝は87年が最後
88年はジャガー、89年はメルセデスと群雄割拠の時代となった
そしてこの90年、日産は本気で勝ちにいった
R90CPと呼ばれるシャシは前年までの英ローラ製から、ようやく!日産追浜自製となった
エンジンもVRH35Zというレース専用設計だ
日米欧混成部隊は実に7台!のエントリー
その期待感からか、その年の公式ポスターにも採用された
ヨーロッパチームがポールポジション(R90CK)
アメリカチームがファステストラップ(R90CK)
と速さは示したものの、決勝は日本チームの5位が最上位
ちなみに既にワークスが参戦していないポルシェ962Cだが、プライベーターが実に3位入賞!
この辺がポルシェの本当の底力なんだよ!!
翌91年、日産追浜製のマシンは更に速さと信頼性を増す!
なのに、ルマンに出ないんだよ何故か!!
世界選手権シリーズ(WSPC)に全戦に参加の義務が出たり・・・
エンジンをF1と共通化させようというレギュレーションの変化があったり・・・
それらが要因か、結局日産はルマン参戦を見合わせ、以後しばらく姿を消した
タラレバは無いが出てればね・・・最も勝利に近かったかもね
92年はアメリカのデイトナ24時間レースでも勝ったしね
ちなみに91年ルマンの勝者はご存知このクルマ
これも嬉しかったがね
中継見ながら友人と(固定)電話で盛り上がったなあ!
今年もルマン公式ポスターに採用された日産
FFという前代未聞の新機軸で望む
「一年で一番長い一日」は間も無くやってくる